日記

祖母が亡くなった日ドキュメント

突然の知らせだった。
いつものように午後6時40分頃、実家へ食事に行った。
すると玄関口に母が慌てて、
『おばあちゃんが大変だと病院から連絡があった。今すぐ行ってくる。』
と出かけて行った。
その間、父はオレに食事を促したので、平静通り食事をした。
父は、食事に手をつけなかった。

そして19時30分頃、母から祖母の訃報を知らせるTELがあった。
パジャマに近い格好をしていたオレは、
『着替えてくる。』
と父に告げたが、
『すぐに行くからそのままでいい。どうせ病院に行ってもすぐに帰ってくるから。時間的にも、死に化粧も終わってるだろうし。』
と強く制す。
が、結局着替えに行った。
その間、弟がのんびりと食事をしていた。
そしてもう出かけようかというとき、気分安定薬を忘れたので取りに戻る。
この時も、
『そんなに大事なものとはなんだ。』
と、価値観を押し付けようとする父。
価値観は人によって違う。父に必要のない価値でも、オレに必要な価値というものがある。
そういうことをお互い理解し、尊重し合いながら生きていくのが社会生活の営みではなかろうか、と今書いていて思った。

病院へ

で、病院へ。病院は、車で10分もかからないところ。
病室では4人部屋で祖母が亡くなっていた。
死人がいても平気な残りの人って…
死に化粧はまだしていない。
寝てるだけ。
母情報によれば、朝も昼も病院へ行ったけど、その時は普段どおり元気だったと言う。
が、夕食を食べている途中に器官に食事が詰まり、呼吸できなくなった人のこと。
祖母は4人部屋で、看護師が1人その部屋の中にいたんだけど、自分でご飯を食べられないひとのために食事の介添えをしていたらしく、祖母のことに気づかなかったらしい。
それって、命を預かるものとして許されるの?
でも、それほど苦しまずに亡くなったということはよかったと思っている。
『数十秒間は苦しんだんでしょ。』
と通夜で指摘してきた人もいたけど、オレは、死に際に何時間ももがき苦しみ亡くなっていった近親者を何人か見ていて、そのことがトラウマになっているのでさっと逝けたことは悪くないと思っている。

久しぶりの祖母との対面

そんなオレだが不孝行孫なことに、実は10分ほどの距離の所に住んでいるにもかかわらず、祖母と7年以上会っていなかった。
会うと、祖母が安心して亡くなってしまうような気がしていたからだ。
病院好きな祖母は10年近くも、この病院に入院していた。
療養型病院でもないごく普通の病院に長期入院できるのはありえないことだと思うんだけど、なぜか祖母はずっとこの病院にいることができた。

祖母が最後にこの病院から出てきたのは7年前。
祖父が亡くなった時だった。
その時も、自宅に数時間戻っただけで、セレモニーホールへ入ったものの、
『やっぱり病院に帰りたい。』
と言って病院に戻ったという経緯がある。
そんなこんなでオレと祖母があったのはそれが最後だたんだけど、オレの元妻と息子は、祖母と4年前に会ってるんだよね。

7年前の祖母は、白髪が真っ白だった。
だが、今日会った祖母は、髪が黒い。
最近だんだん髪が黒くなってきていたと母が説明してくれた。
不思議な話だ。

亡くなる前から祖母の体重が20kg台と聞いていたのでひどく心配していたが、見た感じだとそんなに細くもなく、元気そうで、亡くなっているとは信じられなかった。

母が到着したときは、まだ暖かかったという祖母の体も、我々が見つめているうちにだんだんと冷たくなっていった。
そして、1時間ほどの時を過ごした後、死に化粧をしてもらう。
同時に、弟と妹が布団を敷きに、家へ帰る。

この時に、自分の体にヤバイ気配を感じて気分安定薬を服用。
が、時はすでに遅し。病棟で大泣きをして、腰から砕けるように堕ち、周りの声が耳に入らなくなった。
母の、
『こっちの面倒も見なきゃいかんのか。』
というような声がかすかに聞き取れ、さらにショックだった。

しばらくして、気を取り直す。
死に化粧をしている間、葬儀屋の話になった。
父は葬儀屋の会員証を持っていたが、どうも病院との連携が悪い。

同時に寺にも
『後で来てもらえないか。』
連絡。僧侶は快諾してくれた。僧侶という仕事は大変だなと感じた。
酒を飲んでたらどうするんだろう??

しばらくの間、母があちこちに電話しようとするが、取り乱して喋ることができない。
途中からは、父が電話をしていた。

死に化粧を終え、パジャマを着替えた後、再度祖母と対面。
明らかに口紅が濃い。
と思ったら、母も口紅の濃過ぎると感じていたようで、手で口紅を落として頬紅にしていた。

祖母宅へ

程なくして、葬儀屋が登場。
そして看護師が2人がかりで祖母をストレッチャーに載せる。

葬儀屋の車で母とオレと祖母は祖母宅へ帰る。
そして、屈強な葬儀屋は、一人で祖母を抱き抱え、布団に寝かせた。
目のあるものには封をしなければいけないということで、額縁や遺影に次々と半紙を貼ったり、簡単な祭壇を作ったりと、葬儀屋は手際がいい。
準備はすぐにできるので、お坊さんには葬儀屋にいつ来てもらってもいいとも言う。
ので、父がお坊さんに電話。

通夜と葬儀の日程について検討。
『今決めていただければ、明日お通夜、明後日葬儀の手配も可能ですよ。』
『明日は日曜日ですし、いらっしゃる方も楽かと。』
とまるで期間限定セールのような感じで言われる。

だが、決めるなら今、すぐに決めなければならない。
そりゃそうだ。時間は21時。
新聞掲載やセレモニーホールの手配を考えたら、ギリギリの時間だ。
せっかちな父は、翌日通夜、翌々日葬儀と決めた。

と同時に、僧侶が来た。

僧侶の度胸と世間話

僧侶は祖母宅から歩いて1分ぐらいのところに住んでいる。
そして読経開始。
影で葬儀屋が電話しているのだが、自動音声に基づいて電話しているようだ。
名前も留守電にスローで吹き込んでいるような感じ。

それとほぼ同じタイミングで、新聞のお悔やみ掲載の勧誘の電話がかかってくる。
どうなってんの??
金沢市の市民課は記者クラブに死亡者情報を垂れ流してんの?
葬儀屋曰く、すぐに電話がかかってくるからとあらかじめ言たかったらしいんだけど、お坊さんが先に来てしまったから言うタイミングを逃してしまったと言うことらしい。葬儀屋は、詫びていた。

読経が終わった後、僧侶と学生時代の話をする。
僧侶は父の高校時代の師匠であり、かつオレの高校時代の教師でもある。
なのでとても馴染み深く、父は2期の卒業生、オレは松井の2つ上などという話をする。
ちょうど祖母宅に飾ってあったカレンダーが、同じ高校を卒業した画家の作品で、山下(監督)がプロ野球選手に、
『おみやげとして配るけど、誰かわからないからあまり喜ばれない。』
とこぼしていたと教えてくれた。
どうせなら、プロ野球選手には、同校のサッカーワールドカップ代表選手のグッズとかあげれば異業種交流になるのにと思った。

そして、伴僧は1人でいいかと聞かれ、父がうなずく。
さっそく僧侶はケータイを取り出し、知人に電話。
その人が都合悪かったみたいで、別の人に伴僧をお願いすることになった。
ちらっと、前の会社の同僚の寺の名前が出たので、少々焦った。

しばらく、祖母のことを偲ぶ。
祖父と同じ歳で亡くなった。
その時もこのお坊さんにお願いした。
このお坊さんのことは、オレは昔からの癖でどうしても『先生』というふうにしか呼べない。

葬儀屋と打ち合わせ

で、僧侶が帰ったら、どこからともなく隠れていた葬儀屋が出てきて、猛烈な打ち合わせ開始。
祭壇の種類や遺影などを一瞬のうちに決めていく。怒涛の作業だ。
ゆっくりと決めている暇はない。
父のいい加減さに呆れて言いたいことはいっぱいあったけど、静観していた。

すべてを一通り終えて23時30分に家に帰った。


ここは前向きブログなので、本来あまり書きたくないことも様々あるけど、永遠のメモとして文中に触れた。

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